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世界を襲うインフレ、果たして日本は?

【書評】「物価とは何か」(渡辺努、講談社選書メチエ)

2022年07月28日

内外政治経済

客員主任研究員
田中 博

 ここ最近、連日のように値上げに関するニュースが世間を賑わせている。コロナ禍による供給制約が十分に解消されない中で、ロシアのウクライナ侵攻によってエネルギー価格や食料価格が高騰、原材料価格をさらに押し上げた。その結果、企業が値上げに踏み切らざるを得なくなっているのだ。消費者もスーパーなどの店頭で値上げを強く実感しているのではないか。

 長年、へばりつくように動かなかった日本の物価が上がり始めている。6月の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)の伸び率は前年同月比2.2%を記録。2%台になったのは、携帯電話料金値下げの影響が剥げ落ちた2022年4月以降、3カ月連続となった。

消費者物価指数(生鮮食品を除く総合、前年同月比)
図表(出所)総務省

 しかし、本格的な値上げラッシュはこれからという見方が根強い。多くの企業は値上げを単に「表明」したに過ぎなかったり、2度、3度の引き上げも辞さない姿勢を見せたりしている。このため実際の価格改定は秋以降に本格化するとみられるのだ。その一方で日本銀行は「物価上昇は一時的」とのスタンスを変えておらず、物価目標の2%を達成しても当面は、大幅な金融緩和を継続する構えだ。

 果たして物価はどうなるのか、そもそも物価とは何か。市民生活に大きな影響を与えるだけに、物価に対する関心がこれまでになく高まっている。そんな疑問に対して示唆を与えてくれるのが、2022年1月に出版された「物価とは何か」(渡辺努、講談社選書メチエ)である。

 日銀出身で東京大学大学院経済学研究科教授の著者は、物価研究の第一人者として知られている。本書では物価の定義や種類、過去の歴史などを丁寧に紐解いて解説。基礎的な経済理論にとどまらず、実際の商品データも駆使して、物価の動きなどを分かりやすく説明している。渡辺氏は、小売店からのPOSデータなどを収集し、日時で物価の動きを把握する指数を開発、東大発ベンチャー「ナウキャスト」を創業(現在は創業者・技術顧問)するなど実業にも通じているだけに説得力が増すのだ。

写真(出所)版元ドットコム

 その中で筆者が特に興味を引かれたのは日本の特異性について解説した部分だ。「なぜデフレから抜け出せないのか―動かぬ物価の謎」と題した第4章では、この4半世紀にわたって続く「緩やかな、しかし執拗なデフレ」が日本の特徴とした上で、景気悪化で生産の減少に伴い原価が低下し、価格を下げるべき局面で、企業は価格をあまり下げず、景気が多少改善し価格を上げるべき局面になっても、上げることはあまりなかったと総括。渡辺氏はこれを日本企業の「価格据え置き慣行」と名付け、1990年代半ば以降に定着し、現在も続いているとみる。

 企業はなぜ値上げができないのか。本書では物価全般の上昇率が長い期間ゼロだと、客は値上げを受け入れずに他店に逃げるため、企業にとって価格転嫁を躊躇させる原因になっているのではないかと分析する。確かに自らの行動を振り返ってみても、商品やサービスの中身に大差がなければ、どこかに安く売っている店があるはずと思って探してしまう。逆に言えば、商品やサービスが差別化されていれば、多少の値上げも受け入れる余地があるのではないかとも考える。

 では今後、物価はどうなるのか。出版タイミングもあって本書ではその行方までは踏み込んでいない。1つ注目すべきは、交通・通信や教養娯楽、教育などを含むサービス価格の動向ではないか。渡辺氏も日本経済新聞の記事(2022年6月28日付)の中で「消費者物価指数を構成する600近い品目のうち、支出比重で4割の品目は価格が1年前から動いていない」とコメント、これを踏まえて記事では「物価が動かない4割の品目は、輸入価格上昇の影響を受けず人件費も上がっていないサービス分野が大半だ」と指摘している。

 しかしながら、そのサービス分野の多くも、もはや輸入価格上昇の余波は避けられないだろう。例えば、光熱費の高騰を受けて、水泳教室の教習料や銭湯の入浴料などが値上げされるなどといったニュースが流れている。認可が必要な鉄道運賃についても鉄道各社は2023年以降、値上げに踏み切る意向だ。今後、値上げの波がほかのサービス価格に波及すれば、物価が一気に上昇する可能性はある。

写真サービス価格の上昇(イメージ)
(出所)stock.adobe.com

 物価上昇の予兆は、足元の企業物価指数(国内)の伸び率からも見てとれる。物価の伸び率は、消費者物価指数が前年同月比2%台で推移しているのに対し、企業物価指数は9%台にまで跳ね上がっている。この差は何か。企業物価指数にはサービス価格が含まれていないため単純には言えないが、企業が消費者への価格転化を「我慢している分」とも取れる。これまではコスト削減などの企業努力によって吸収してきたが、足元の原材料価格の高騰でその我慢は限界に近づいている。

 海外を見渡せば、欧米諸国の消費者物価指数は既に8〜9%台の高水準で推移する。この急激なインフレ懸念の台頭によって、米国をはじめとした主要先進国の中央銀行は金融引き締めに必死だ。先述のように金融緩和を続ける日本との金利差が円安を助長し、それがさらに輸入物価を押し上げることになるだけに、消費者はインフレの足音に十分耳をすませておくべきだろう。

田中 博

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